Apr 04, 2026
久しぶりに小田急線沿いに用事があったので、各駅停車を降りて駅の周りを少し歩いてみた。複々線化で駅前は整理されて建物も新しい。なのに、空気がどこか平成っぽい感じがした。
あまりうまく言えないが、令和の街のはずなのに、令和の感じがしない。スーパーの品揃えも、クリーニング屋の看板も、個別指導塾の外観も、どれも更新されているのに、それらが並んでいる風景には既視感がある。自分が子どもだった頃に見ていた風景と、同じ骨格を街に感じる。
郊外と一口で言っても、地方都市のそれでは更新自体があまり起きていない。平成初期で止まっていればまだ良い方で、昭和の輪郭がそのまま残っている場所もある。自分が住む関西でも、北摂や阪神間の一部を除けば、郊外の風景は意外と手つかずだ。古いまま古びている街と、新しくなったのに平成の空気が残っている街は、全く別のものだと思う。
後者には、ある種の余裕がある。インフラが更新され、生活水準が維持され、急激に何かが変わる必要がない場所に特有の、穏やかな現状肯定。世田谷の小田急沿線や京王沿線を歩いていると、その感触がまだ確かにある。
令和に入ってからの右旋回を、日本全体の変化として語ることは簡単だけど、世田谷を歩いていると、それが均一には広がっていないことに気づく。新鮮な平成の空気がまだ残る場所では、不思議とその波が弱い。逆に、その空気が最初からなかった場所、あるいは失われた場所では、変化の波がそのまま届いている気がする。単に余裕の有無かもしれない。ただ、余裕があるということは、何かに怒ったり、誰かを排除したりしなくて済むということでもある。
軍事評論家の小泉悠が以前、自身の愛国心について「『平成のニッポン』的生活様式を守りたいのだと思う」と言っていて、その言葉が頭に残っている。平成の街に漂っていたあの空気──世界がまだ一方向に進んでいるように見えた頃の、あの楽観の残り香──を守りたいという感覚は、自分にもある。
最近、土岐麻子の「BOYフロム世田谷」をよく聴いている。平成の郊外で青春を過ごすとはどういうことだったのか、その手触りとして。

