Mar 31, 2026
最近、AIと適当なアイデアを壁打ちして、どこにも出ない(出せない)企画書を出力する遊びにはまっている。思いつきを口にして、対話の中で膨らませて、数十分後にはそれらしい体裁のスライドが出来上がっている。この一連の流れがもたらす全能感が病みつきになる。全てのアイデアが面白い気がするし、全て実現できそうな気がする。
全能感の正体は、おそらく企画書という形式の力なのだろう。数十分前に思いついたアイデアでも、スライドに落ちた瞬間に別のものになる。背景、課題、提案、期待効果…その順番に並んでいるだけで、中身の確からしさとは無関係に「いけそう」に見えてしまう。形式が内容に説得力を貸している。
今までもそうだったのかもしれない。企画書の説得力の何割かは、形式の側にあったと思う。ただ以前は企画書を作ること自体にそれなりの時間がかかっていたから、形式と内容がある程度一緒に育っていた。手を動かしているうちに考えが整理されて、書きながら筋が通っていく。あるいは、書いているうちに無理があることに気づいて手が止まる。
だが、少なくともこの遊びでは、思いつきと形式が瞬間的に立ち上がる。考えが十分育つ前に、見た目だけ立派な企画書のようなものが目の前にある。「無駄打ちしている」「厚みがない」と言う批判もできよう。
もっとも、これ自体は重要なことではない。大事なのは、企画書を作っては壊し、放置し、忘れたようにゼロから作り直し、気まぐれに既存のアイデアとつなげ合わせる、それを短時間・同時並行で進めまくる…という狂気だ。その先で自分が何を作っているのか、そして編集者の形を保っているのかに、今は興味がある。

